琉球紀行

琉球歴女プニが、琉球史を中心に綴ります。

テンペスト歴史旅行~インディアン・オーク号座礁~

木曜日のテンペストのドラマで、
船が座礁して寧温と朝薫が現地に視察に行っていましたが、
あれは、創作ではなく、史実なのです!!


ドラマではある程度「年」はいじっていますが。
ドラマ版の年表も近々UPできれば・・・・
↑ただ今作成中です




インディアン・オーク号座礁

1840年8月14日
英国東インド会社船籍の、インディアン・オーク号が、
台風の影響で座礁した。
↑またまたtempest

当時は、座礁した船は掠奪されるのが当たり前でした。
ですが、インディアン・オーク号が座礁した北谷の人々は、
船の乗組員67名全員を救出して、帰国するまで
衣食住を与えて、手厚くもてなしました。
そして、帰国の際、180トンのジャンク船を建造して提供した。

というような感じなんです。



嵐が去り、珊瑚礁が煌めきを取り戻したころ、
北谷沖に見慣れない船が出現した。
座礁したインディアン・オーク号だ。

テンペスト 1 P218 池上永一著 角川書店





テンペストの原作でも寧温が、指揮を執ってヴィクトリア女王から、
ナイトの称号を授かりました。
もの称号が後に八重山に流刑にされた時に役に立つことになります。



I was given a title from the Queen.
(女王陛下からナイトの称号を賜りました)

それはかつてインディアン・オーク号事件のときにヴィクトリア女王から贈られた親書だ。
女王のサインが記された手紙に艦長に足が震えた。

テンペスト 3 P18 池上永一著 角川書店


ここら辺もかなり好きで、何回も読みました(笑)
寧温が活躍するシーンが大好きなプニです






ちょっと年代考証

で、原作のことになるのですが原作では、
インディアン・オーク号座礁の「年」を史実より
1年後にしているようです。→参考テンペスト年表

理由は、聞得大君 真牛がインディアン・オーク号が座礁
する少し前の財政改革の時に、海運業者に借金をしたときの
証文の文の「干支」が、1840年ではなく、1841年になっているので、
座礁より前が1841年なのに、座礁1840年ではおかしいということになるので、
1841年が有力です。




インディアン・オーク号というと1巻というイメージですが、
こんな所にもちょこんと登場しています


暴風雨のときでも評定所は決して休まない。
ずぶ濡れになって門をくぐったあの日、インディアン・オーク号が座礁した。
そして朝薫に紙を結い直して貰ったことも面映ゆい想い出だ。

テンペスト 4 P294 池上永一著 角川書店

これは4巻又は下巻の最後。
真鶴が明と一緒に王宮に忍び込んだ時のことです。


ワタシもこれが史実だって知ったとき、正直びっくりしました(笑)
何月何日まで詳しく書いてあるから、もしかして史実?
と思って調べたら、本当に史実だったし。




 

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