琉球紀行

琉球歴女プニが、琉球史を中心に綴ります。

テンペスト歴史旅行~牧志・恩河事件~

テンペストはエンターテイメントですが、

史実もモチロンあります

なので、その史実の歴史を

場面も引用しながら、紹介していこうと思います



  まきし・おんが
最初は牧志・恩河事件

なんでこれからかっていうと

1番はやく調べれたから。

ペリー来航とかは

いろいろありすぎてまだまとめられてない・・・・

 

というわけで早速スタート


牧志・恩河事件

牧志恩河事件とは、1858年に起こった三司官座喜味親方盛普の免職と

その後任人事をめぐる疑獄事件。



テンペストでは・・・・・

朝薫が左遷され、島津斉彬が死亡した際、朝薫ら、清国派が王府に復帰し、

寧温は懐妊のため、百浦添御殿重修仮奉行になった。



史実 


島津斉彬は、琉球での異国との通商容認という方策を利用して、

琉球を通じて、フランスとの貿易、軍艦の購入などを計画、実行しようと思ったが・・・

                                        ざきみせいふ
それには王府の協力が必要なため、協力的でない三司官座喜味盛普を罷免。

新三司官の人事にも介入してきた。

斉彬に忠実な薩摩はであった通事・牧志

慣例を無視して出世。日帳主取に。
↑寧温と一緒だ


ところが・・・・

1858年島津斉彬が死亡。

斉彬死亡後、薩摩では保守派が実権を握り、斉彬派は一掃される。

その頃王府では座喜味親方の罷免や三司官人事などがむしかえされた。
↑おっ朝薫復活の所

まきしちょうしゅう、おんがちょうこう、おろくりょうちゅう

斉彬派と目された牧志朝忠、恩河朝恒、三司官 小禄良忠、玉川王子朝達らが、

関与したとして、逮捕・投獄された。
↑朝薫たちに薩摩派は一掃されたよな~


翌1895年牧志・恩河・小禄は流刑、玉川王子は蟄居となった・・・・・

その翌年の1860年牧志は突然薩摩から上国の命を受けた。

薩摩役人に連行されて、船に乗ったが途中で海に身を投げて死亡。

         しょうたいじ
恩河は流刑地伊江島照泰寺で没した。

 

 
島津斉彬の急死は琉球最大の疑獄事件をもたらすことになった。
薩摩の王府人事への介入に不満を持つ役人たちが蜂起し、
薩摩の賄賂に関わった者、
重要を受けた者全てを投獄粛清した。
その勢いは凄まじく三司官といえども拷問にかけ、死に追いやったほどだ。

後の牧志・恩河事件の勃発である。
このような疑獄事件は本来、
穏やかで寛容精神に富む琉球の風土と相容(あいい)れないものだ。
しかし薩摩の介入は度を超していた。

テンペスト 4 p127 池上永一著・角川書店

 
テンペストにも牧志・恩河事件出てきてます。

こうやって調べてみると結構当てはまってる所多いよな~

オレンジで↑ってやってるところがテンペストに大体当てはまってます

ちょっと物語っぽく書いてみました(笑)

 

牧志朝忠は孫寧温のモデルだけに結構共通点も多いよなっ!!


主な参考文献

図説 琉球王国 高良倉吉・田名真之編
首里城ものがたり 下  又吉眞三 監修

 

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現在ペリー来航とインディアン・オーク号座礁などを考え中・・・
引用しながら、テンペストと比べながら書くのも意外と楽しいなっ

MYバーナー作ってみました(笑)
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