琉球紀行

琉球歴女プニが、琉球史を中心に綴ります。

護佐丸・阿麻和利の乱から護佐丸を読み解く




護佐丸の日企画
これは第何弾になるんだろう?
落書きが第一弾だから第二弾?

なんか堅そうなタイトルになっちゃいましたが、
エンターテイメント的に護佐丸と護佐丸周辺を
書いていきます(笑)


護佐丸といっても、もっと前からカツヤクしてるけど、
私が護佐丸が出てくる時代で一番知っているのがココ!
ってことで、護佐丸・阿麻和利の乱にしました。
理由はズバリ!小説 百十踏揚


~護佐丸・阿麻和利の乱&それまでの出来事~


志魯・布里の乱

尚泰久即位

百十踏揚勝連降嫁

阿麻和利が尚泰久に護佐丸に謀反の疑いがあると告げる

阿麻和利率いる王軍が護佐丸の住居・中城を攻撃

護佐丸自害

賢勇が百十踏揚を勝連から脱出させる

賢勇が阿麻和利を討つ



百十踏揚勝連降嫁

ちなみに百十踏揚は護佐丸の孫にあたります。
百十踏揚は王女だから、その母は王妃。
ということは、王妃は護佐丸の娘になるわけです。

ここからわかることは、
この時代で孫がいる=長寿だった
自分の娘が王妃=スゴイ権力を持っていた
ということ。


阿麻和利が尚泰久に護佐丸に謀反の疑いがあると告げる

このとき阿麻和利は琉球統一王府簒奪を目論んでいた。
↑に書いたように有力な武将であった護佐丸は自分が
権力を握るのに邪魔だったのです。


阿麻和利率いる王軍が護佐丸の住居・中城を攻撃

ここで、阿麻和利は護佐丸を自害させることに成功します。



ここから後は護佐丸とは直接関係無いから省略します。
ここからを書くと阿麻和利や賢勇メンイになっちゃう


さっき百十踏揚は護佐丸の孫だと書きましたが、
実は
尚泰久と阿麻和利と護佐丸は親戚同士だったのです。

護佐丸のコドモが尚泰久の王妃。そのコドモが百十踏揚で、
その百十踏揚と阿麻和利が夫婦という関係にあったのです。

主要人物が親戚同士でいいのか?という疑問もわきますが、
ここで大事なのは、護佐丸は、王の義理の父にあたるということ。


もともとエリートで、王の義理の父って一体何者なんだ護佐丸!!




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